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長期のレコーディング
2013-05-01 Wed 04:59
ワーナーミュージック・ジャパンとの契約後に最初に取り組んだのが、

『Jealousy』に収録できなかった

「ART OF LIFE」のレコーディングだった。

デモテープは1990年夏には既に出来上がっていたが、

Toshiのボーカル録りが難航。

1993年8月に、ようやくリリースされる。


これと並行して各メンバーのソロ活動が活発になるが、

次第にX JAPAN本体とのスケジュールの都合がつかなくなるなどしたために、

X JAPANのレコーディングスケジュールも管理していたYOSHIKIが、

他のメンバーに不信感を募らせていった。

だが相変わらず、X JAPANのアルバムレコーディングは遅々として進まなかった。


本来、『Jealousy』に続くアルバムは世界進出アルバムとしてリリースされるはずであったが、

Toshiの英語の発音の問題や、

他のメンバーがあまり乗り気でなかったこと等を理由に、

YOSHIKIは『DAHLIA』での全世界リリース(『DAHLIA』英語盤の製作)を断念した。


さらに、その長期にわたるレコーディングは

ワーナーミュージック・ジャパンとの関係をも悪化させる。

契約から4年ものアルバムレコーディングで経費がかかりすぎるとして、

レコーディング費用捻出のために仕上った楽曲を次々とシングルとしてリリース。

それでも費用がかさんだ結果、YOSHIKIは自腹でレコーディングを続行。

さらに、YOSHIKIは持病の頚椎椎間板ヘルニアのために

数曲のハイスピードな楽曲のレコーディングを断念した。


『DAHLIA』のレコーディングが終わらぬまま、

1995年11月、全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』が開始。

YOSHIKIの体調を考慮して、基本的に1~2週間に1カ所で2日間という日程だったが、

翌1996年3月13日、名古屋公演1日目にYOSHIKIがライブ中に椎間板ヘルニアを再発したことで、

以後のツアー日程は全て中止され、事実上ツアー終了。

福岡の延期を除く18公演中、

7公演が中止となった。

福岡ドームに至っては、延期公演の振替も中止となった。


長期のレコーディングの末、

1996年11月4日に最後のオリジナルアルバム『DAHLIA』がリリース。

しかし5年4か月もの歳月を掛けたにも関わらず、

アルバム発売以前に全10曲中6曲までがシングルリリースされる
(さらに『DAHLIA』リリース後に「SCARS」もシングルカットされた)という、

ベスト盤的アルバムとなった。

この頃からToshlはX JAPANに息苦しさを感じるようになったと発言している。




解散


1997年4月、音楽性・方向性の違いを理由にToshlが脱退する。

後任のボーカルを見つけられなかったため、

9月22日に記者会見を開き、

X JAPANの解散を発表した。

その後、ファンに対する「けじめ」としてライブをしよう、

とHIDEがYOSHIKIを説得。

Toshlも参加して、1997年12月31日に東京ドームで


『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行い、
コンサート終了後に出演した


『第48回NHK紅白歌合戦』のステージで幕引きとなった。



X-JAPAN The Last Live ~最後の夜~ 1/2




X-JAPAN TheLast Live ~最後の夜~ 2/2













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